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1日1怪

4月15日

​ふと気づくと、日が沈み始めていた。まだ、肌寒くはないものの、陽光が斜めに辺りを照らして影は這いつくばるようにその虚像を広げていた。その様子をみて、私は幾分体温を失うような気がした。山の背後に身を隠すようにして、夕日は橙の色彩を投げ掛け、その光から逃れた陰の部分は薄い紫のように暗く、黄昏時の独特な2色の風景を作り上げていた。

世間は、ここのところ外交問題で不穏な空気が流れているが、そんな都会の喧騒が届きそうにもないこの田舎では時間が遅く流れているようだった。そんな中にあって、私はパソコンの画面やらスマホの画面に目が慣れていて、意識は遠く自分の背中を後ろから眺めるようにあって、外の景色が、彩度の低い風景が視界に入らなかった。目線を窓の向こうに移してみても、そこは空気が止まっているように何も変わらない木々と誰かの家があるだけだった。時間がとまって空気の対流も滞り、その影響は家屋の中の私にも訴えかけてくるようで、息苦しいような、のどの詰まるような思いを感じながら、空気が乾いて肌が乾燥していく。全身にチリチリとした痛みだかかゆみだかわからない不快感を覚えつつ、イヤホンをたどって端末を持ち上げると、ロックを解除することなく今、聞いている音楽をスキップした。

どうにも私は、なにかに追われているような焦燥感を感じているようだ。実際は、なにもすることがなくて暇なことこの上ないのだが、それがかえって心理的に焦りを感じさせるのかもしれない。やらなければいけないことはあるが、差し迫って今すぐ手を付けなければならないタスクはなく、なにか重要なことを忘れているときの不安とも違っていることはわかっていた。

すぐに、その、嫌な感じの原因を知るところとなる。しばらく音楽に耳を傾けていて、いよいよあたりは薄暗くなってきた。私は、カーテンを閉めて部屋の明かりをつけるために立ち上がった。今の時刻は18時前で、少々早すぎる気がしないでもなかったが、なんとなく、機を感じたのでそのまま部屋の明かりをつけて窓際に進んだ。と、私は外に浮かぶ浮遊物に目をとらわれた。

断りを入れておくと、私の精神は極めて正常であり、また、これから見るものがなんらかの幻影であることもない。それが、そこにあって、私が見たという事実は、全くもって証明の仕様がないことではあるが、少なくとも私を主とする世界では真実なのである。窓の外、私の家の庭を挟んで向こうにある道路の上、地面から1mほどの高さに浮かんでいるものがあった。感覚的に記述すれば、私はそれを視覚的に確認した瞬間にそれの詳しい姿を認識していた。しかし、わかりやすくその姿を順を追って説明すると、その姿はブドウの一房のようであった。ブドウにしては、一つの粒が大きく、全体の大きさも30㎝はあろうかというもので、それは木になるように浮いていた。明らかにブドウと異なる点としては、その房になっている一つ一つの実が、生物の眼球のようであるということである。また、その眼球にはまさにブドウの実のように褐色の皮がついており、絶えずまばたきをしていた。その連なる眼球は視線をせわしなく動かし、すべてがばらばらの方向を向いている。この、何かが行う運動はそれだけでなく、それぞれの眼が周期的に膨らんだり、縮んだりしているのである。それはさながら、人間が呼吸する際に膨らむ腹部のリズムに似ており、このきわめて珍妙な何かに有機的性質を与えているものであった。その全体はゆっくりと前後左右に、揺れ動いており、上下にも浮き沈みしていたが、その座標はある点から動くことはなく、物理法則に反していることは明らかであった。

私は数秒程、その物体を見つめていたが、何を思うでもなく、それから目を離すことはしなかった。どれくらいかはわかならいが、30秒ほどであろうか、それの房になる一つの眼球と私の眼があった。すると、私の脳内に、光り輝く刺激が連続して破裂するようにはじけた。不思議と、痛みはなく、仮に例えるならば、メンソール系の化学物質を直接脳髄で感じ取ったような感覚であった。と、同時に私は先ほどまで感じていた嫌な感じの正体を理解した。

​眼球の連なったぶどうは既に姿を消しており、カーテンを閉めようとした私は外の時間が動き出したこともわかった。

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